こんちわっす。乳です。
最近のMEE〇Tを見ていてあまりに我慢がならなかったので筆をとっているところです。
ME〇ETに限らず、BCG全般で言えるのが、
「web3は分散型でゲームはまだβ版!未来に向けて調整中なんです!」
という謳い文句。
誰の介入もない完全な分散型取引で、ゲームコンテンツが誰もが見たことの無い完成されたものになっていくことに立ち会えることはとても感慨深いし、その未来を見てみたくてBCGを続けている自分がいます。
ただ、わいがつくづく引っかかり続けているのが、
「その進化の過程で多大な犠牲者が踏み台になっていて、しかもそれが当たり前であるという認識になりすぎているのでは?」
ということです。
どんな製品であっても、使ってくれるユーザーと共存しながら製品って進化していくものではないのかな?と自分は思うのです。
例えばみんながよく使うスマホ。
これって時代とともに進化し続けているけれど、その進化の過程で、
「このスマホを高額で買ったけど、途中で当初使えた機能が満足に使えなくなったんだ・・・だからもっとお金を出してグレードアップさせないと前みたいに使えないんだ。でも僕が損したおかげで販売者は資金を手に入れることができたから、スマホがよりよい機能を拡張しグレードアップしていってるんだ。」
なんてことあります?(ちょっと分かりにくくてごめんなさい)
購入後に新製品が出て、旧製品以上の価値がでるアップグレードを重ねていくならわかります。
例えるならiphone10を使っている間にiphone11が出て、機能がさらに拡充するようなものです。
でもBCGは使っている最中に急に機能が毀損して、当初の性能を十分発揮できなくなる製品になることが多々あります。
そしてそういった製品を「投資は自己責任!」の名のもとに運営は何食わぬ顔で販売し、しかもその毀損は運営のさじ加減で突然訪れます。
購入時以下の利便性、機能性を奪われることなく使い続けることができて、その使用感では物足りなくなり新製品の利便性に惹かれて新たに購入、または現状の製品で我慢する。という選択ができるのが本来の製品の在り方ではないでしょうか。
何を言いたいかというと、BCGは運営の勝手なさじ加減で、予期せぬタイミングで突然誰かが多大な損をすることで進化するプロジェクトであること、そしてそれが当然であると認識されていること、法整備がなく誰もそれを抑制できずに野放しになっていて情報を得ていない人は損を被ること。そしてそれは自己責任だから仕方ない。の一言で片づけていることがわいにはしっくりこないのです。
BCGはただのゲームではなく、ブロックチェーンの名のとおりマネーゲーム(資本主義)です。モノの取引において買い手売り手の駆け引きでそのような損得が起きることはいささか仕方がありません。というよりそこが醍醐味なところがあります。
わたしが一番懸念しているのは、
運営が直接関与し、ゲームルールを突然変更したり、トークンをこっそり売り抜いて意図的にユーザーを損させて運営が利益を抜くのがまかり通っていることです。
運営というのはいかに分散型を早期に完成させるべく、そこにのみ注力し、その分散型取引で生じた取引手数料で利益を得ていく。
それが本来の「BCGの開発」ではないでしょうか?
現状のBCGは「運営」の介入度が非常に高く、崇高な目標に邁進し、ユーザー保護を考えながら最終的に利益を発生させよう。という長期目線の運営がほとんどおらず、運営の自己短期利益追求ありき、或いはそのままスキャムなどで逃亡することが頻発していることが当然のように日々行われていることが残念に思えてなりません。